頑張りすぎず頑張ろう

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これから「新・資本家」になるための考え

フォロワー1000以下の人間はゴミ

こんな言葉がネットにはある。

 

最近、SNSが非常に身近になった。

 

朝起きてスマホを触ったときにまず最初にSNSを見るひとも多いと思う。

 

そんな中、フォロワー10万人以上いる「インフルエンサー」にあこがれを抱いたことはないだろうか?

 

中産階級が崩壊し解雇リスクが付きまとう中、SNSでのセルフ・マーケティングは「喰ってゆく」ために必須となった。

 

みんな必死でフォロワーを獲得しようと必死である。

 

なかにはお金でフォロワー買っているアカウントまである。

 

なぜそこまでするのか。

 

答えは「アテンション」がカネになるからに他ならない。

 

アテンション(それはPVと言い直してもいいが)は現代の資本であり私有財産だ。

 

つまりアテンションを勝ち得ている人=インフルエンサーは、現代の「資本家」だ。

 

なんか「マルクスの薪(まきぎ)」のエピソードを思い出させるな。

 

マルクスは賢明で議論好きでドイツの大学でいろいろな学問を学び博士号を取ったけど、経済学だけは学んでいなかった。卒業したら、ジャーナリストになった。

 

その頃、ドイツの森で、ある騒動が巻き起こった。それは森で薪を拾う市民を、地主が「私有財産の窃盗だ!」と主張し、締め出した事件だ。マルクスはこの事件を記者として取材し、はじめて経済問題に開眼した。

 

森に落ちている木の枝は、値札が付いているわけではないし、古来から住民がみんなそれを拾い、暖炉にくべ、また家具を作って販売し、生活の足しにしてきた。それが、ある日突然「この土地は私の土地だからこの木の枝は私有財産だ」と言われて、住民は暖を取ることができなくなった。


土地を持っていなければ薪を拾う事はできない。木の枝から家具を作れない。生産資源を持たない人は、雇われ人(プロレタリアート)として時間を切り売りして生きてゆくしかなくなる。

 

アドセンスなどによりアテンションをマネタイズできるツールが発明されたことで、アテンションは突然「資源」になった。そしてそれは「私有財産」にほかならない。フォロワー数の多い人は「資源リッチ」なのであり、「資本家」である。

 

マルクスは「持てる者」と「持たざる者」の対立で物事を考えた。現代において「持てる者」「持たざる者」はフォロワー数によって数値化できる。

 

マルクスは格差はいずれ不景気招来し、資本主義を危機に陥れ、「持たざる者」の叛乱を招くと予想した。その先にあるのは「私有財産の否定」だ。

 

SNSでのアテンション、つまりインフルエンサーも、マルクスの「資本家」如く社会から糾弾され、憎悪される存在になるのだろうか?

 

「アテンションはカネになる」。。。。この事実に気がついてないネットユーザーは、よっぽどウスノロな連中だけだろう。たとえばイケダハヤトは自分に注がれるアテンションをいろいろなカタチで次々に利益に換えている。年間数千万円くらいのキャッシュフローを作ることなど、たやすいことだ。


現代では資本家と労働者の区別は、とても曖昧になっている。たとえば労働組合の旗手である藤田考典だ彼という存在の滑稽さは、彼自身は格差や労働組合の問題を声高に主張しながら、本人はそれに注がれるアテンションの恩恵に浴し、ぬくぬく暮らしているという点だ。

 

これはカール・マルクスプロレタリアート革命の必要を説きつつ、自らはイギリスの富裕層の住む界隈で、綺麗な奥さんとぬくぬく暮らしていたのと酷似している。

 

この「アテンション格差」「フォロワー格差」が過酷な所得格差を生んでいるという認識は、ネットユーザーには希薄だね。(大きな声では言えないが、上手にPVをお金に換えているYouTuberやブロガーは、すでにこの新しい格差の問題を敏感に感じ取っているだろうけど)

 

いまアメリカで「最も嫌われキャラ」はマーク・ザッカーバーグだ。

 

グーグルも「あこがれる会社」から「嫌いな会社」に成り下がっている。

 

その理由はFBやGOOGが「格差のenabler」の働きをしているからに他ならない。

 

最近のFAANG株の下げで(ザマミロ!)と留飲を下げているアメリカ人が多い。ちょうどロックフェラーのスタンダード石油やカーネギーUSスチールが庶民から目の敵にされたように、いまこれらの株はヘイター(憎悪者)をたくさん作っている。

 

こういったように現代はフォロワー数=資産となっている。

 

無料で始められて資本になる。

 

みんなも近代の資本家を目指してみてはいかがですか?